変な大人に会いに行け

質問ガチ勢です

論文が苦手な若手研究者が自分の研究をAIに投げてみた

https://elicit.org/

 

たそ: 質問ガチ勢,悩んだときは変な大人に会いに行けがポリシー。心理学・医学専攻の大学11年目。

 

自分の主張に説得力をつけるために本来使われるべき先人の知恵

さっき何やってたかというとさ,AIに「人間の生きる意味とはなんですか」とか英語で訊いたらさ,論文を並び替えてくれて,この世に出てる論文から,生きる意味とはとか,そのクエスチョンのアンサーに該当してると思われる文章を勝手に引っ張ってくれるという,研究の問いに対しても,答えを用意してくれるっていうサイトをやってて。
このサイトで読むべき論文もわかるし,で,この論文にこういうことが書いてあるって一覧してくれるから,なんかもう,考える葦であるということを頑張らなくてもいいような感じになってくる。人力で,人海戦術で (論文を見付けて論文を読み,論文間の繋がりを整理してということを) やろうと思って結構私は今まで辛い思いをしてきたけど,自分には向いてないと思って (私の同期はそれが得意で評価されてるし,研究者がやりたいのであれば,色々な論文から自分の言いたいことを裏付けるのは弱音を吐かずにやるべきことではある)。このサイトがあったら論文書けそうな気がしてきた。色んなね,日本語の教科書に書かれてないような答えが,論文には書いてあるんだけど,日本語じゃないから理解しにくいとか,論文って文脈があって順番に見つかるようなものじゃないから,引用とかしてあって,「あ,これ関係あるかもしれない」と思って精査しないと出会えない感じがあって (他の論文で引用されていないと論文間のストーリー性をもって読むのが難しい),自分の中では。これはすげえなと思った。

 

AIで出てくるのは本当に答えか?

コメント: 本来AIはロジカルに解を求められないところに使うもの

そこまでは人間ができるからってこと?確かにね,人間が1人の人が発想しないところとか,着目しないヒントとかね,それを見つけるのには有用だと思う (複数の論文を一人でストーリー性をもって読めない私はまさにこのサイトを使ってそれが出来ている)。でもさー,AIが絵描いてくれるサイトとか滅茶苦茶進化したじゃない,爆発的に (AIがここまでやってくれるから違う方向で正解じゃないものを作ろうということが人間の新しい課題になってきてるなと思う)。

コメント: AIはブレがあるから正解とは限らない

んー,なるほどね。そこは学習して予測立てる度に答えが違うっていう,そこは納得ですよ。だからまあ,AIの出してきた答えを踏まえて,論文を自分で書くべきだなというモチベーションはすごい高まった。むしろそこしか考えてなかったから。「自分,論文書く意味ねーじゃん」って思う人もいるのかな,このサイト使って。答え書いてあるじゃんって。
私の問いの立て方がさっきすごい良かったんだと思う多分。なんでこうなんですか?って訊きかたじゃなくって,さっきねえ,日本の教科書で出てこない,絶対出てこないこと訊いたのよ。私の研究領域だと,日本語のこの前買ったこの6千円の本だってさ,一番進んでる本だけど,こういう状況のこういう脳領域の機能を教えてくれって,なんでこのときこの脳領域は働くんだってところは,本に書いてない。絶対書いてない。そこの書いてある本をずっと探してるけど,日本語ではまだ文章になってない。 (論文に書いてあっても) 日本語じゃないと理解し難いから,全然わかんないんだけど。

www.msz.co.jp

で,その状況における,機能を知ることによって,私の研究データで,実験で出た説明をしようとしてたのね。だから,何の意味があるのって色々問いはできると思うんだよ。私の研究に,私の論文書こうと思っても。この脳領域が働くことは何の意味があるんですか。この状況でこういうことやりました,その意味はなんですか。それを問う意味はなんですか。結局どういうことなんですかとか。そこは,AIに突っ込むと何かしら出てくるけど,私の論文の問いじゃないよね,答えではない (あくまで肉付けである)。そこは私がやる。

 

OK, AI 結論は自分で書いたから,論文の形にするのを手伝って

私の研究データを裏付ける,論文を今探してて,こういう状況でそういうものが何の意味があるんだ,書かれているものを教えてっていうことをさっき入力したら,ばーっと出てきた。全然知らん論文ばっかやあと思って,これ読みゃあいいんじゃんって,読みゃあいいっていうか,書いてあるんだけど要約が。AIが答えとして引用してきた文があるんだけど,全部そこから引用すれば箔が付くじゃんって。引用文献,90件でも埋まってくるわって思った (AIが出してきた論文をその通りに引用して作られる論文の書き方の是非は別の問題だが)。